JPPの歴史
2022年
JPP Histry
- 2021年もコロナ、コロナで明け暮れた
- ウクライナ問題で世界中が騒然。早く平和な世の中になるよう誰もが願っている
- 3年振りのUSAナショナルズにゲスト出演(2022.3.25)
審査員全員のスタンディングオベーションに超感激! - 11月23日 ジャパンポンポン27周年記念チャリティショー開催!!
25周年記念がコロナで延期 やっと開催に漕ぎ着ける
タワーホール船堀:開場1時間前から受付には長蛇の列、大ホールいっぱいのお客様
チャリティボックス:20数万円の寄付 感謝!
寄付:664,047円(チケット代+寄付金)を江戸川区子ども食堂に寄付
2020年
JPP Histry
- あっという間に2020年 月日の経つのは早い
- コロナ騒動で3月から緊急事態宣言なるものが施行
- 練習もできずメンバー悶々と自宅待機
- 8月から練習開始なるも入り口で検温 アルコール消毒 マスク着用の物々しさ
- 10月に25周年記念チャリティーショー開催の予定 キャンセル いかにも残念
- 現在まで海外取材:2011年から ブラジル アメリカ(CNN) オーストラリア国立 SBS スイス国営 イタリー イギリス(BBC) デンマーク 韓国 オランダ ベルギー イスラエル
2017年
JPP Histry
- 超忙しい年である
- 3月 5月 6月 7月 8月イベント続き 締めが10月台湾公演 大絶賛 大成功
- 台湾の人たち親切でフレンドリー
- 会長「85歳のチアリーダー」出版
- 雑誌、新聞、あれこれの取材が殺到 毎週、練習日に取材のカメラ メンバー緊張
- 見学者、応募者多数 嬉しい悲鳴
2015年
JPP Histry
- 第20周年記念チャリティショー開催
- 平均年齢すでに70歳、半数以上が70歳以上、全員の頑張り 時々あちこちからため息
- 王子の北とぴあ800席をほぼ万席にする
- ゲストに高校生「和太鼓」、早稲田「ショッカーズ」、初めての試み「靴の踊り」など工夫
- 収益をNPO法人 ロシナンテス・NPO法人 さくら・車イス プロジェクトに寄付
2011年
JPP Histry
- 第16周年記念チャリティショー開催(第15周年が1年遅れる)
- 収益を東日本大震災に義捐金として寄付 東日本の速い復興を心から祈る
2009年
JPP Histry
- メンバーが23名となる
- 「初心忘れるべからず」と新コーチを迎え1つのグループにまとまって練習
- 新コーチの下、15周年記念に向けて半年に1曲仕上げる目標で大車輪
2005年
JPP Histry
- 10周年記念チャリティショーを開催。収益はユニセフに寄付
- ひとり7~9曲を踊る、衣装の着替えは2分、打ち上げは最高気分!
- 入会希望者多数のため オーディションを開始、何と20名以上のウエイティング
- プラチナ・ゴールドの2チーム編成となる
2002年
JPP Histry
- 一念発起、数年経ってもいつも1曲しか踊れないのを打破するため発表会開催を決意
- 7周年記念のため2泊3日の合宿を行う。22名全員が参加 全員意気軒昂!
- 7周年記念発表会を開催。若さ、健康、素晴らしいチャンスに感謝し、収益をユニセフに寄付
- 初めての発表会、謙虚に謙虚にワンコイン(500円)の入場料 謙虚過ぎると巷の声(本当です!)
1999年
JPP Histry
- 結成4年目でもメンバーわずか 9名
- 桜花咲く頃、某週刊誌に 「遂にでたー!」 的紹介をされる
- 新聞、雑誌、テレビ、ラジオにとりあげられ、一躍アイドル並みの取材攻勢にとまどう、否、狂喜乱舞に近かったような気もする
- メンバーが徐々に増える 絢爛豪華な衣装に憧れる中高年も少なくない有様
- 3分ほどの曲を1年かけて覚えるが、次の年には前の曲を忘れる 危機的状況
1996年
JPP Histry
- アメリカ、アリゾナ州にシニアチアリーディングチームがあることを知り、日本でジャパンポンポンを結成
- 当時、青山学院大学学生をコーチとし、前年暮れにリクルートしたメンバーで1月から練習開始
- 5名でシニアチアダンスチームとしてデビュー
- 毎週2時間の練習 前の週の振りは誰も覚えていない恐怖のチームだったが喜々として参加
- ジャパンポンポンは、コーチの忍耐力を養い、人生の厳しさをを特訓するチームと錯覚甚だし